【私の育児への思い】子供のしでかしたことを叱る前に、考えて欲しいこと。涙

こんにちは。ベビーサイン教室の川口です。

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いよいよ12月ですが、いかがお過ごしでしょうか。

先週はベビーサイン教室の新クラスが満席にてスタートしまして、

今週木曜日はおひるねアート教室がなんと10組以上にての開催の予定となりました。

慌てて、来週火曜日の20日に日程を追加いたしましたが、遅かったでしょうか。笑

ベビーサイン教室 おひるねアート教室 Baby Tree 東京

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そんな折、長女の小学校では学校公開という、以前の授業参観のようなものがありました。

多少の体調不良を感じつつ、長女が待っているのを知っているので、なんとか参加いたしました。

学校公開後には保護者会もあり、なんとなーく憂鬱ながらも、こちらも参加。

最後の話し合いではなぜか『お年玉』についての話し合い。

学校全体でのテーマなのか、クラス別のテーマなのかわかりませんが、『?』の中の参加。

『?』の中の参加でしたが、参加してよかったと思ったのが、担任の先生の最後のお話。

非常に私の中に思いを抱かせるに十分な内容でした。

ベビーサイン教室 おひるねアート教室 Baby Tree 東京

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最後に先生が話してくれたエピソードがこちら。

『自分が小学校一年生の時、お小遣いを持って友達とお出かけをした。

友達がほしいといったおもちゃが300円したが、お友達の所持金は30円であった。

私はたまたま300円所持していたので、同じ3つの硬貨ということもあり、交換してあげた。

お友達は喜んで、ほしかったおもちゃを買った。

私も、大好きな友達が喜んでくれたこともあり、嬉しい気持ちでいっぱいで、帰宅した。

家路に着いた私は嬉しさいっぱいで、母に話したところ、鬼の形相で叱られた。

お金の世界には子供に知らない大人の世界があるのだと、その時知りました。』とのこと。

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いかがでしょうか、、、普通でしょうか。

普通と感じた方、ご自身が多かれ少なかれ、こういう経験をお持ちではないでしょうか。

 

担任の先生は、子供達にも同じ話をしてくれたとのこと。

私は帰宅後、長女にどう思ったか、聞きました。

すると『お小遣いといっても、元は親のお金なので、それを交換するのはいけないこと』と、どこかの受け売りのようなご意見。笑

で、改めて、私は自分の思いを伝えました。

『お金に関してのその意見は確かに正しいかもしれない。でも担任の○○先生は、その時、自分の中では精一杯考えられること全てを考えて、

そうしたのではないだろうか』と。

帰宅するときに気持ちはハッピーに違いなかったのでは?と。

娘も『そうかもしれない』という。

ここで、私が一番大切にしたいのは小学一年であった時の担任の先生の気持ち。

確かに、大人から見たら、30円と300円を交換してあげるなんて、ありえない話。

怒るのも仕方ないと思います。

でも、ではちゃんと、そのことを小学生であった、今は担任の○○先生に誰かきちんと教えてあげていたことなのかどうかを問いたいのです。

私の想像ですが、おそらくノーです。涙

もしもきちんと説明してあげていたなら、理解できていたでしょうし、

万が一、怒られても小学1年生の担任になるまで覚えていることではないと思うのです。

おそらく、自分のお友達への親切心からくるハッピー度と、まるで真逆の怒られ方のギャップの激しさに戸惑いを覚えて、

数十年経った今でもそのことを克明におぼていたのだと、勝手な妄想から思います。

今でこそ、冷静な判断で、『その時に、お金というのは私たち子供にはわからない世界があるのだと、初めて知りました』と説明されてましたが、

当時の、度を超えた驚きは想像を超えていたと思います。

すごくハッピーな気持ちで帰宅したのに、褒められこそすれ、怒られるとは思いもしなかった当時一年生だった先生は、

いきなり雷のような怒りを浴び、何かを感じることができたでしょうか。

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私の答えはノーです。

きっと何が起こったかわからなかったと思います。

我が家では(いえ私が勝手にですが)こういう本人の心境と真逆の事態で怒られことを

『晴天の霹靂(へきれき)編』と呼んでいます。笑

これは、本人にとって、驚くことがほとんどであって、何かを理解するにはかなり難しい状況にあります。

すると親は必死で何かを教えたいと思ったにもかかわらず、ただただ放心する子を目の前にするだけに過ぎません。

お母様もきっといろんな思いが込み上げて、怒るよりすべがなかったことは、想像するよりたやすいこと。

でも、本当に怒るべきところでしょう。

私なら、違います。

まずはお友達に(自分の知りうる限りで)親切にしてあげられたこと、損をしてでも幸せな気持ちになれたことを

褒めてあげたいと思います。

その上で、自分がお金のことについて、正しい認識を伝えることが遅れてしまったことを謝ります。

そしてさらにお金等のはとっても大切なものだから、今回のようなことは『決してしてはいけないこと』であることを

話して聞かせます。

そうして初めて、子供は理解できるのではないでしょうか。

どんなことでもそうですが、きちんと話してきかせたことがないのに、

知りもしないことを、いきなり怒られるのはやっぱり『晴天の霹靂』だと思うのです。

 

担任の先生は以前に語ってくれましたが、小学校の先生になろうと思った経緯として、

『国語の作文を褒められたことがあるから』だと教えてくれました。

一度は出版社に勤めたのち、そのことを思い出し、教師への道を選んだ方。

 

子供への一言というのは、そのぐらい将来に影響を与えるのです。

何十年経った今でも覚えているようなことなのです。

どうぞ、感情に任せて、子供を叱ることを、できるだけ減らしていただきたいと思った出来事でした。

 

余談ですが、実は私にも同じような出来事がありました。

私の生まれ育った、寒い地域の秋田には、冬になると石焼き芋を売る屋台のトラックが街を巡ります。

私は母に言付かり、1000円を手に『1000円で買えるだけのお芋をください』と買いに出かけました。

するとちょうどお隣のお家のS君が100円を握りしめ『100えんのお芋をちょうだい』というのです。

もらったのは、とっても小さなお芋です。

大きなお芋を3つもっていた私は、かわいそうになり一つ交換してあげたのです。

その話をした時の母の怒りは、信じられないものでした。

今思うと、担任の先生のお母さんと同じ形相だっただろうと思います。

善意に満ちた気持ちとは裏腹に、怒る母という構図があまりにびっくりで、何が何だかよくわかりませんでした。

小学生の私にはなんとも理解しがたいものでした。

『Sくんは喜んだのに。。。。。。。。』ただそれだけ。。。

 

大人になった今の私にはわかります。

でも、当時お友達のことを思った私たち(私と長女の担任の先生)がしたことはそんなに悪いことでしょうか。

私たち大人になったら、嫌が上でもお金や、損得を勘定します。

今になって、損をしてでも他人に親切にしろと言ってもできるものではありません。

でも小学一年生ならできるのです。

友達への親切を損得なんかとは別に素直に行動にうつせるのです。

それを褒めさえすれ、怒る筋合いなどどこにあるのでしょうか。

その数百円の損は、その子の将来にとって、数十倍にもなって返ってくると思う私は間違いでしょうか。

 

その答えは見つかりませんが、長女の担任の先生がそのことによって、『金の亡者』になったりせず、

自分の本分に全うにあることに心からホッとしました。

こういう記事を書くのはとっても久しぶりです。

今日はいてもたってもいられず、感情に任せ書いてしまいましたが、私が常日頃ブログに書きたいと思っている

一番のテーマなので、とても気持ちよく心地よくおります。

理解しがたいと感じた方申し訳有りません。

でも多かれ少なかれ、クラスで語っていること、クラスに通ってくれている生徒さんはわかってくれることと勝手に自負しております。

また来週のおひるねアートについては、サンプル写真が出来上がっております。

明日、遅くとも週明けにはブログにて公開いたしますので、どうぞご確認をお願いいたします。

お付き合いくださいまして、ありがとうございます。

 

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